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    電脳コイル〈3.00〉 -第17話 思い出の帰る日-

    H part

     空間の裂け目をくぐり、外の景色を見た瞬間、私はそこが大黒だと気づいた。今の景色とはかなり違っていて、見覚えのない建物ばかりだったが、それでもわかる。
    「これは何年も前の大黒市だ」
     信彦さんがつぶやいた。
    「ええ、そうね」
     答えると、信彦さんはびっくりしたような顔で私を見た。
    「君は僕たちと同じ頃に越してきたって聞いてたんだが、知ってるのか」
    「知ってるというより、覚えてるっていうか、なんとなくわかるの」
    「そうか」
     返事に納得した感じはなかったが、とにかく信彦さんはうなずいた。
    「それより、あなたこそどうしてここが大黒だってわかったの?」
    「僕は昔、ここに住んでいたんだ。もちろんイサコもね」
    「えっ」
     イサコからそんな話は聞いていなかった。
    「住んでいたといっても、短い間だ。1年とちょっとくらいかな。僕たちの見ているこの風景は、その頃の大黒のものさ」
    「そうだったの……」
     しばらくの間、私たちはふたり並んで、初めて見る”あっち”の、それなのにどこか懐かしい町を眺めていた。懐かしいという気持ちは私たちの内のもので、風景は外のものだ。けれど私には、それとも私たちには、外と内との境はなく、今見ている景色そのものが懐かしさという感情を含んでいるように見えた。逆に言うなら、目の前に広がる大黒の町並みは、私たちの心の中から生まれてここにあるのかもしれなかった。
    「道は知ってる。行こう」
     信彦さんが歩き出し、私は半歩遅れて続いた。
     町の景色をよく見ると、しっかりと作られている場所と、いい加減というほどでもないけど、どこか作り物めいた場所がある。信彦さんの向かう方角には、だんだんリアルではない側の町並みが増えていった。フミエちゃんの見たという2.0の巣はない。多分、フミエちゃんとは反対のほうへ進んでいるのだろう。
     人の気配の感じられない町だった。それでいて、目に見えないところで何か、私たちの知らない生き物がうごめいているような、ひと言でいうなら薄気味の悪い、落ち着かない気分だ。
    「どれくらい歩くの」
     だんだん心細くなってきた私は信彦さんに声をかけた。
    「けっこうかかるね。30分くらいかな」
     素っ気ない答えが返ってくる。
    「そんなに? ここ、大黒なんでしょ。30分も歩いたら町を抜けちゃうわよ」
    「大黒市を模した空間といっても、そのままのコピーじゃない」
    「えっ、どうして」
    「空間の整合性がないからだよ」
    「せいごうせい?」
    「ああ」
     信彦さんは話を打ち切りたがっているみたいだったけど、私は食い下がった。
    「それ、どういうことなの?」
    「君はイマーゴが使えるわりにものを知らないな」
     信彦さんは根負けしたように私を振り返った。
    「そもそもCドメインは、遺棄されたコイルスの空間だ。それくらいは知ってるね」
    「ええ、まあなんとなく」
     頼りない返事に信彦さんはため息をついた。
    「歩きながら基本から説明しよう。当り前だけど、僕たちがさっきまでいた現実空間は、大黒市の本当の町並みにぴったり重ねて作られてるよね」
    「それはわかるわ」
    「道路の整備とか新しい建物の建設とか、町はどんどん変わっていく。それでも電脳空間が現実と合わさっている、つまり空間の整合が取れているのは、僕たちのメガネやオートマトンによって、電脳空間が常に上書きされ続けているからだ。これも常識として知ってるだろ」
    「うん」
     うなずくと、信彦さんは話を続けた。
    「ところがここはそうじゃない。ベースにコイルスが管理していた頃の大黒市があって、そこに時々情報が追加される。電脳霧ってあるだろう。あれが街中に発生してる時、現実空間ではCドメインが現在の空間に上書きされて古い空間が発生しているんだけど、逆にCドメインにも現実空間がコピーされてくる」
    「それって、現実空間とCドメインが入れ替わるってこと?」
    「ちょっと違う。Cドメインのベースはフォーマットできないんだ。サッチーのやってるフォーマットは、リンクを切断してその上に最新の情報を書いてるだけ。だから、何度フォーマットしても電脳霧は現れる。逆に、Cドメインのほうでは、元からある空間に、コピーされてきた空間がだぶってしまう。上書きされるんじゃなく、二重化してしまうんだ。それをなんとかするために、町並みを切って、コピーされた空間を無理に埋め込んでいる」
     よくわからなくなってきた。
    「ごめんなさい、それってパッチワークみたいなもの?」
    「いや、パッチワークなら切れ目に新しい布地をかぶせて覆ってしまうだろ。それはむしろ現実空間に近い。Cドメインでは、切れ目に沿って布地をつないでいる。布に切りこみを入れて、ポケットを作るっていえばイメージできるかな」
    「ポケットはわかるけど、それじゃ空間がだぶだぶになっちゃうじゃない」
    「そうさ、それで間違いない」
     信彦さんはにっとほほえんだ。その笑いはイサコに似ているような気がして、しかしよく考えると私はイサコのそんな笑顔なんて見たことがないのだった。
    「Cドメインには到るところに空間のポケットが作られている。というよりは、もう元の空間とポケットの区別がつかない。だから、外部からCドメインを正確に観測することはできない。中にいる人を呼ぶには、自身がそこに入らなくてはならない」
     その言葉で、私は自分の目的を思い出した。信彦さんとの会話で軽くなっていた心がずんと沈み込む。
     どうして? 私はハラケンを助けたいのに。ハラケンとカンナが仲良くしている姿を見たくないから? それとも他の、私自身にも隠された理由がある?
    「そう、だったな」
     何も言ってないのに、信彦さんは私の顔を見て納得したようにうなずいた。その目に、私と同じ辛さがかいま見えた。
     黙ったまま、ふたりでしばらく進んだ。
     信彦さんが突然、ぽつりと言った。
    「小此木さんは何のために”あっち”へ行くの?」
    「え? 知ってるでしょ、ハラケンとカンナを助け……連れ戻しに」
     信彦さんの目に夕焼けの光が宿った。
    「ふたりが戻りたくないと言ったらどうするんだい」
     私は立ち止まる。足が進まなくなった。
    「現実世界よりもふたりの幸福を選ぶと言ったら」
     信彦さんも足を止め、私を振り向いた。その声はイサコと似て、低く心地良かった。
    「そんなの間違ってる!」
     それでも私は叫ぶ。
    「間違ってると君に断言できるのか」
    「できる! 会ってハラケンにそう伝えるわ」
    「蛮勇」
     信彦さんは寂しそうに笑った。
    「イサコにもそうあってほしいな。あの子には前に進む力が欠けてるから」
    「えっ」
     意外を通り越して、実は信彦さんはイサコについてよく知らないんじゃないかさえと思った。あんなに行動的なイサコに、力が欠けてるなんて。
    「信じられないという顔だね。でも、案外すぐに、君にはわかるかもしれないよ」
     どうして、と聞く前に信彦さんは前を向いた。
    「もうすぐ”あっち”だ。原川君と葦原さん、それにイサコもそこにいる。3人を連れて早く戻ろう。空間が不安定になってきてる」

     空は暮れない夕映えで真っ赤だった。
    「懐かしさとこわさってちょっと似てるよね」
     ハラケンは水路岸の土手に腰を降ろしている。水面は油を張ったように静かで、ふたりの姿、青く染まり始めた雲、沈む草の緑、映し出されたそれらはゆっくりと混ざり合ってひとつになる。
    「2度と手に入らないとわかるから?」
     並んで座ったカンナは、手元にあったハルジオンの花を摘んでハラケンの頭に飾り、すぐに吹き出した。
    「やだ、似合わない」
    「わかってるならやるなよ」
     ハラケンは少し乱暴に花をつかみ取って、カンナの髪に差した。小さな花はカンナの柔らかい髪にぴったりなじむ。
    「手に入らないんじゃなくて、それはもう僕のものなんだ。手に入れたんだ。そうして、永遠に変わらず僕のものになってしまったのがこわい。変わるのはこわい。でもそれ以上に、変わらないのは」
     ハラケンは頭を抱えた。
    「考えすぎよ」
     カンナは立ち上がり、そして私に気づいた。
    「ヤサコが来てくれたわよ」
     ハラケンは素早く振り返って、カンナをかばうようにその前に立った。
    「何の用だい」
    「戻ろう」
     胸が苦しくて、やっと私はそれだけ言った。
     ハラケンは黙って首を振る。
    「どうして? ここは私たちのいていいところじゃない。家に帰ろうよ」
    「家、か」
     ハラケンは顔を上げた。不意に夕焼けが閃いて、私は思わず目を閉じた。すぐに開けると、今まで川と思っていたのは2車線の道路だった。タイヤに磨かれたアスファルトが輝く。ガードレールの根元からやせたハルジオンが1輪、ななめに伸びている。カンナの姿はない。
    「信彦さんが、空間が不安定になってるって。外には2.0もいるし、このままだと本当に帰れなくなるよ」
     ハラケンは笑った。
    「僕はここにいると決めて、さっきカンナにも言ったんだ」
     真っ黒い絶望が心を覆い隠すのから逃げるように、私は声を張り上げた。
    「ダメ! ダメだよ、そんなのハラケンのためにもカンナのためにもならない」
     ハラケンは笑みをひるがえさずに言った。
    「ヤサコにとっての幸せって何だい」
    「幸せ? どうして今そんなこと――」
    「ヤサコは幸せになりたい?」
    「そ、それはもちろんそうだけど」
    「僕は今幸せだ。本当に君が僕のためを思ってるなら、僕が幸せである道を選ぶべきじゃないのか」
    「そんな!」
     違う。でも何が違うのか、ハラケンが間違っているのかそれとも私なのか。
    「迷うことはないんだ」
     優しい口調でハラケンは続ける。
    「ヤサコはヤサコの幸せを追って僕を連れ戻そうとしたんだ。でも僕は僕の幸せを追って手に入れた」
     そこで喋るのを止め、ハラケンは私を見つめた。それが最後の言葉だ。
    「ふたりの道は違う。さよなら」
     そうやって、私は失敗した。
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